① 「変な竹」

つり竿のタケササを探し始めて闇雲に走り廻り出したのは、確か1994年の冬、45歳だった。我が人生をふりかえれば、その時々で気の向くまま、行き当たりばったりの我流で生きてきた私だった。ま、今も進行中かな。本人は行き当たりバッチリのつもりなんだけどずうっとまわりに迷惑をかけているような気がする。探し始めて数年経ったころ、宮崎県の山中でふと目に留まったのは異常に大きい葉っぱの笹。肌には奇妙な紋様があった。標本として、

数本伐った。あとで判明したのは、日本竹笹の会の研究会の折り。北海道積丹半島のシャコタンチクだった。積丹町教育委員会に問い合わせると天然記念物なので伐ってはならぬと。2回目に見つけたのは広島県の島。3回目は徳島県。4、5回目は秘密。どう利用できるかまだ売り上げには苦労するが、過去の歴史なども少し解り、楽しくなってきた。しかし、月日の経つのは早く、面白いけどこれではちょっとイカンなあ、ってな感じ。

② 「ヒト釣り」

釣り針を口に咥えたサカナは、糸の伸びと竿のしなりをどのように感じているのか。我が身をもって感じたことが、

一度あった。ある薮で伐った石鯛用の布袋竹6、7本をかかえて外に出ようとしていた時だった。石鯛用の竹材は、25〜30ミリ径が平均で、古竹は特にずしりと重い。

冬でも汗がでるほどだが、夕暮れ近くになると早く道まで出したくて急いでいる事が多い。疲れた足は重く前に進みにくい。太ももあたりに下草のツルの様なものを感じたが大した抵抗はなく、跨ぐには半端に高く面倒なので引きちぎってしまえと、前進をつづけた。4歩5歩と進むと少し抵抗はあるものの、プチッと切れそうに思えた。6歩7歩とやや抵抗は強くなったが、もう切れそうな感じ。前傾姿勢にして更に進むと、抵抗はじわっと増えた。モモに食い込んで痛くなった。腰に剪定バサミはあるが、両手は塞がり疲れていて面倒なので、ええいっと足を進めたがさらに食い込んできてツルもしつっこい。強情な私もうしろを振

り返った。そのときの画像あれば、爆笑間違い無し。目線を上にやると、何と6、7メートルありそうな竹が、上から曲がり私が竿で釣られた構図。あの時の竹の曲がり具合は、その後名刺に描いた竹とよく似ていたような気がする。

 

③「回想/屋久島の磯で布袋竹延べ竿の老人と出会う」

もう30年前の事ながら、今でも考えさせられる釣り人がいた。しばしば竿を出した、ある地磯でのこと。ふと人の気配で振り返ったら、「隣で竿出してもいいかい?」と見知らぬ老人が後に立っていた。「ええ、どうぞ」畳一枚ないような岩場に二人が並ぶ事になった。びっくりしたのは

7メートル位に見えた竹の竿。穂先にくくりつけたナイロン糸をくるくると回しながら、ほどいている。太い糸なのでまるでスプリングのようだった。 荷物は小さな水汲みバケツがひとつだけ。黙って見ていると、エサの黒ウニを一個取り出して、釣り針にぐいっと刺した。そして、そっと足元に投げ入れた。音もせず、ゆらゆらと穂先の方へ引っ張られて行ったが、釣り糸はラセンの型がついたままなので、穂先からふわふわと波にもまれて、何とも見た事がない眺めだった。竿よりもずいぶん長めの糸とは言え、せいぜい10メートルか。リールなどはない。磯の割れ目に竿を挿した。暫くすると、巻きぐせが徐々に取れていってそのうちにまっすぐに。その釣り場は足元から絶壁で20メーター位ある深場なので、どう考えても水深の半分程度に黒ウニが宙ぶらりんのふわふわ状態だと思った。「これで今までいっぱい大物の石鯛を釣ったでのう」とのひと言に、私は「、、、」。 じっと見ていたが、その日は残念なことに、アタリもなく、夕方に引き揚げる事に。老人が先にかたずけてひとこと、「じゃ」と歩き出した。片手に長い竹竿を持ち、ゆっくりと岩場を登り出したので、こちらも帰り支度をした。地磯の帰り道などは、ほぼ同ルートなので、一足遅れて歩きだすと、すぐに巨大な岩があるがその隙間に老人の竹が立てかけてあったので、またビックリした。「そういうことか」と納得した。それから再会はないまま、年月が流れたが、私もあすで68歳。体力は衰えながらも、あの光景は鮮明に焼き付いている。一度やってみたい延べ竿の磯釣り、と思っている。後日、広辞苑で

調べた。「竿」とは、「竹の枝を切ったもの」。